厳密さを求めること(1)動機

物理で、厳密さを求めるけれど、残念ながら厳密にできない、という場面があります。それについて書き留めておきます。記事の予定は

(1)なぜ厳密さを求めるのか

(2)点と線の粒子

(3)波動関数

(4)デルタ関数

(5)次元正則化

(6)数学基礎論

 

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なぜ厳密さを求めるのか。

 

今の所、思いつく理由は2つで

 

1)脳の負担を軽減したい。

物理の話では無く、一般的にですが、白黒はっきりしている話は、理解するのに脳の負担が少なく、楽ちんなので快感をおぼえます。スッキリしていて、気持ちがいい。

そして、たまに、「スッキリして気持ちいい」のと「事実である」のと「その話から利益が得られた」ことが一致している時があって、そうすると

  すっきりした話 = 正しい話 = 役に立つ話

というパターンを学習する。そこで、やみくもに、何も意識せずに、厳密さを希求する。それは、つまるところ、快感を希求している。

...なのかな?、というのが1つめの思いつきです。

 

2)現実世界での利益を求める。

宗教、星占い、血液型占い、に比べて科学は経済的利益を多く生んでいて、その原動力は、使用する事実の量だと思います。血液型占いにも若干の真実があるけれども、科学が使用する事実は圧倒的に多く、科学の予測は100%当たらないにしても、あたる確率が星占いなどよりも高い。

一方、科学が手薄な所、人生の幸福とか、に科学以外の宗教などが使われています。ここで、余計なタラレバですが、もし幸福について、幸福の公理系を定め、幸福を数学的に定義し、定理を証明し、実験で計測する、とかなった場合、宗教は使われなくなるかも知れません。

   経済的利益を多く生む ⇔ 現実に基づく ⇔ 空想を排除する=厳密である

...なのかな?、というのが2つめの思いつきです。