相対性理論の誕生に見る教訓

教訓1:

19世紀に光速度不変という自然現象が見つかった時、物理学者は「これは相対主義を意味する」と誤解しました。今日では、これはローレンツ共変性というものを意味する、と理解されています

 

19世紀的な見方(誤解):

  ニュートン力学=絶対主義

  特殊相対性理論相対主義

 

20世紀の見方:

  ニュートン力学=絶対主義+ガリレイ共変性

  特殊相対性理論=絶対主義+ローレンツ共変性

 

これは、物理学者といえども、自然現象が何を意味するかを誤解する、という教訓を示しています。

(20世紀では絶対主義vs相対主義という視点があまり重要では無くなっています)

補足:

現在の物理の言葉でいうと、19世紀の絶対主義とは「ガリレイ変換で形が変わらない自然法則を求める」ものでした。相対主義ガリレイ変換でなく一般座標変換です。20世紀に入って、この2つの変換のほかに、ローレンツ変換、ゲージ変換、共形変換、などが登場し、いろいろな立場の理論が混在しています。そこで、20世紀以降では、もう「絶対主義vs相対主義」という問題意識が重要ではなくなりました。

 

教訓2:

現在、相対性理論の検証としてブラックホール絡みの観測結果と理論予想の照合が行われています。

 

しかし、現時点で「相対性理論と関係ない」とされている自然現象が、200年後くらいの将来に、相対性理論を否定する事になるかも知れません。

 

というのは、ニュートン力学が否定されて相対性理論に置き換わったのが、そういう歴史だったからです。

 

18世紀:

  ニュートン力学は、とても良く成り立つ。

  電磁気の法則は、電気と磁石の話であって、ニュートン力学とは「関係ない」。

 

19世紀:

  電波の運動が、ニュートン力学での物体の運動と矛盾する。

  (電波はローレンツ共変、ニュートン力学ガリレイ共変)

 

20世紀:

  ニュートン力学を否定し、特殊相対性理論を採用する。

 

 

教訓3:

アインシュタインは20世紀で1番頭がいい天才、という誤解が生じた。

 

1)学問への影響度 と 頭の良さ は別の話

相対性理論はメートルと秒がどう振る舞うかの法則です。ほとんどの自然現象にはメートルと秒が関係しています。そして、明確な理由は不明なのですが実際の事実として、異なる自然現象においてもメートルと秒の振る舞いが同じなのです。

したがって、その振る舞いを記述している理論は物理という学問全般へ大きな影響を及ぼします。

しかし、それはアインシュタインの天才の度合とは関係ない別の話です。たとえば、もしアインシュタインが画期的な色の理論を作ったとしましょう。その革命的な天才的な理論が物理学全体に大きく影響するでしょうか?  答えは、影響しない、です。なぜなら、色が関係する自然現象は限られているからです。

 

○ アインシュタインは天才

○ アインシュタインの影響力は1番

✕ アインシュタインの天才度は1番

 

2)アインシュタインを有名したのは新聞社

その経緯は、「アインシュタイン」の名前ほどには、有名ではありません。

 

1919年に突如、アメリカの新聞ニューヨークタイムズが1面にアインシュタインの事を書きました。1面の一番上に「ニュートンを超えた」と大見出しを載せたのです。アメリカのスミソニアン博物館の学芸員の方の意見では、理由は、1918年に第一次世界大戦が終わり、明るいニュースが欲しかった、からだそうです。

 

当時、物理学者の間では当然有名でしたが、世間的には無名でした。

 

1919年以降、ニューヨークタイムズ 日本の改造社 などの企画でアインシュタインは世界各地を訪問し相対性理論の講演を行いました。彼には新聞記者が同行し、写真を撮り、新聞記事を書きました。有名になった後は、大学の教室に関係ない人々が乱入してきて、講義のジャマだった、そうです。

 

補足:

1)スミソニアン博物館の2019.11.4の記事

www.smithsonianmag.com/science-nature/one-hundred-years-ago-einsteins-theory-relativity-baffled-press-public-180973427/

2)『アインシュタインの旅行日記』草思社(2019)

の2つをご確認ください。

 

(以下は、私のウロ覚えですので、誤りがある気がします)

 

日本にも訪れています。船は最初、神戸に着き、しかし上陸はせずに東京へ向かいます。東京では、大正皇后と男性皇族(何とかの宮)が主催して歓迎会が開かれました。大正天皇は出席していません。アインシュタイン夫人は和服姿で登場し、拍手喝采だったそうです。その後、慶応大学で最初の講演を行い、数カ月かけて日本各地で講演を行いました。京都では清水寺に観光で訪れています。日本の後は、上海、香港を訪れドイツへ帰国しました。

この旅の日記でアインシュタインは、”なぜ日本人は背が低いんだろう”という趣旨の事を書いています。この記述は、後にナチス・ドイツアインシュタインをおとしめるための宣伝に使われました。アインシュタインは人種差別主義者だ、というのです。ユダヤ系だった彼をナチス・ドイツは嫌ったのでした。

 

(補足)

1919年に太陽によって星座の星からの光の曲りが望遠鏡で観測されました。その曲がり方は、単純なニュートン力学での計算より2倍程度大きい一方、一般相対性理論とは良く一致しました(光の曲がりの原因は、空間の曲がりと時間の遅れの両方です)。

 

ニューヨークタイムズは、これをもってニュートン力学を超える物理学が登場した、かのように書いています。しかし、歴史を見れば

 

1887年:電波の運動はニュートン力学と合わないという実験結果が出た。

1900年:原子の世界ではニュートン力学が成り立っていないとの認識が確定。(量子力学のはじまり)

1905年:ニュートン運動方程式を捨て、ローレンツ運動方程式を使い始めた。(特殊相対性理論

1912年:水星の近日点移動が大雑把に説明できた。(アインシュタインの最初の理論)

1915年:水星の近日点移動が十分正確に説明できた。(2番目の理論=一般相対性理論

 

などの時点で新聞記事を書いても良かったのです。